日誌

新規日誌18

令和元年度終了式式辞に代えて

 クラス別登校して手を消毒

 皆さん、2月27日以来、規則的には学校へ通っていませんが元気ですか?本来ですと、今日24日が修了式となるところですが、コロナウイルス感染症予防の観点から実施できませんでした。とはいえ1年間の総まとめですので、式辞に代えて、印刷したものを配ることにしました。
 とりあえず、皆さん進級決定おめでとうございます。
 特に進級について意識していなかった人が大半だと思いますが、なかには、この休業中に補習や課題を課され追認試験を受けて、それをクリヤーすることで進級が決定した人もいました。そういう人は、進級することの重みを実感できたと思いますが、次は絶対にそのような苦労をすることなく進級、卒業してください。それと、皆さんを進級させるために、労力と時間を割いてくださった先生方へ感謝の気持ちを忘れないようにしてください。
 さて、先日の卒業式も、在校生の皆さんは参列できませんでした。卒業式でも私の式辞は印刷したものを配布し、要旨を簡単にお話しただけでした。
 特に、松尾芭蕉の言葉「不易流行」ということを中心にお話ししたのですが、これからの時代、科学技術、特に通信技術の発達により、一層変化の激しい時代が来ることが予想されます。しかし世の中には変わっていくものと、いつまでも変わらないものがあるという話でした。
 不易-変わらないもの、それは人の心の本質的な部分ではないでしょうか。人に対する思いやり、何事にもくじけずに頑張ろうとする気持ちなどが大切ということは、いつの時代になっても変わることはないと思います。こうした気持ちを育んでいくのも、学校という場の大切な役割だと考えています。
 勉強だけでなく、部活動や学校行事などを通じて、人とのかかわりを持ちながらそういう気持ちが育まれていくのです。
 1年生はあと2年、2年生はあと1年越谷東高校でしっかり学び、そうしたことも意識しながら、元気に過ごしていってください。

 令和2年3月24日                    

令和元年度卒業式式辞

 越谷東高等学校第三十六期卒業生の皆さん。ご卒業おめでとうございます。
 今回の卒業式は、コロナウイルス感染症蔓延防止の観点から、規模及び時間を縮小して行わざるを得ませんでした。
 本来ですと、この式辞もきちんと皆さんの前で述べるはずだったのですが、印刷したものを配るという形になってしまいました。
 しかし、私もそして先生方も皆さんの卒業を、心からお祝いする気持ちに変わりはありません。
 保護者の皆様におかれましても、このような形での卒業式となったことは、大変残念に思われていると拝察いたします。しかし、大局的な見地からの判断であるということで、どうぞご理解ください。
 保護者の皆様にとりましては、この三年間は平穏な日ばかりではなく、様々な気苦労や、ご心配をされた日々も、あったことと、拝察いたします。しかし、そのような日々を乗り越え、卒業を迎えられたことは大きな慶びであり、心からお祝い申し上げます。
 ところで、卒業生の皆さんが在学中に、時は平成から令和に移り変わりました。この卒業式は、令和最初の卒業式ということになり、皆さんは越谷東高等学校の令和最初の卒業生ということになります。皆さんは、そのような新たな時代を切り拓いていく、節目の記念すべき卒業生なのです。
 平成の時代は、コンピューターそしてインターネットの加速度的な普及、また、小型のコンピューターそのものと化した携帯電話の爆発的な普及などにより、社会が急激に変わっていきました。さらに科学技術の様々な分野での発達が、社会の変化をより一層激しくしていくことが予想されます。
 皆さんは、そのような激烈な変化の時代を生きていくことになるわけです。そんな話をされると、何をよりどころとしてこれからの社会を生きていったらいいのか、不安になるかもしれません。社会が目まぐるしく変化していく時代を生きていくには、どういったことが必要なのか、心配になるのは無理からぬことです。
 ところで、江戸時代の俳人、松尾芭蕉の名前を皆さんは知っていると思います。「古池や蛙飛びこむ水の音」「閑さや岩にしみ入る蝉の声」などの俳句は、大変有名です。
 その芭蕉の言葉に「不易流行」があります。「不易」とはいつまでも変わらないこと、「流行」は時の流れとともに変わっていくもの、という意味です。芭蕉は、二つ合わせて、いつまでも変化しない本質的なものを忘れず、そのうえで新しいことも時代に合わせて取り入れていくことが、大切なことだと言っています。
 時が移り時代が変わっても変わらないもの、それは人間の心の本質的な部分だと私は思っています。ただ、勉強だけできればいい、体が丈夫でさえあればいいというものではなく、人に対する思いやり、何事にもくじけずに頑張ろうとする気持ちなどが大切、ということは変わらないと思います。
 越谷東高校で皆さんは、授業はもとより、部活動や課外活動など日々の教育活動を通じて、何事からも逃げずに前向きに取り組み、ある時は厳しさに向き合い、またある時はともに支え合い、喜びを分かち合いながら歩んできました。
 思い出してください。記録を少しでも伸ばそうと苦しさに耐えながら懸命に走ったマラソン大会、仲間と協力して成功の喜びを分かち合った文化祭、粘り強く取り組み問題が解けたときの喜び。越谷東高校で過ごしたこの日々の積み重ねは、必ず皆さんの生きるための糧となって、深く心の中に刻み込まれているはずです。皆さんが思っている以上に、この三年間で皆さんは心も体も大きく成長しました。これからも、しっかりと自信をもって生きていってください。そして、ひるむことなく未来に向かって挑戦していってください。皆さんの前途には、限りない可能性が広がっています。臆することなく挑んでいってください。
 すべての卒業生の皆さんの今後の限りない発展を改めてお祈りし、私の式辞といたします。

 令和二年三月十三日

 埼玉県立越谷東高等学校長
               奥木 幹夫

3学期始業式講話

 みなさん、あけましておめでとうございます。
 考えてみれば、令和初めての正月ということでしたが、充実した冬休み、良いお正月を過ごせたでしょうか?
 ところで、年の初めにあたって改めて何を話すか考えたとき、「健康」ということについて話そうと思いました。
 本校の校訓は、「健康・向学・協働」です。教育方針とか、目指す学校像などもありますが、校訓というのは学校の独自の教育理念として、その学校が存続する限り変わらないものです。教育方針や目指す学校像などは、時代の流れ社会の変化などにより、変わっていくことがありますが、校訓は変わりません。そのため、いつの時代にも適合するように、校訓にはシンプルなものが多いのだと思います。
 それにしても、本校の校訓の最初に「健康」が来ているのは、大変興味深いものがあると思います。学問を志す「向学」、力を合わせて一つのことにあたる「協同」などは、校訓によくあると思いますが、まず初めに「健康」が来ているのは珍しいのではないでしょうか。
 しかし、健康も教養のうちと、最近の世の中の動きを見ていると思い始めました。そういった意味で本校の校訓を考えた人は、物事の本質をよく理解している人だったと思います。健康も教養のうちといいましたが、正確に言えば、健康に対する知識や行動は、教養の大事な要素であるということです。
 わかりやすい例でいえば、私が若いころ、大人になると特に男性は、半数以上の人がタバコを吸っていました。当時も、タバコが身体に良くないとは言われていましたが、それほど知識が普及していませんでした。しかし、次第にその害が身体の広範に及ぶことがわかってくると、喫煙する人が減っていき、喫煙者は少数となってしまいました。
 もちろん、二十歳になれば喫煙は法律で認められており、吸う吸わないは個人の自由です。誤解のないように言いますが、喫煙者は教養がないという意味ではありません。身体にどんな影響があるか理解しているかどうかが、重要なポイントだということです。
 皆さんは平均寿命という言葉は知っていると思いますが、健康寿命ということについてはどうでしょうか。歳をとって、寝たきりや認知症など介護を必要とする状態ではない、元気にすごせる期間についていうのですが、平均寿命ではなく、この期間を延ばすことに意味があると、近年盛んに言われるようになってきました。
 学校では、主に保健体育の授業や家庭科の授業で、健康について学びます。健康寿命についても習っているかもしれませんね。もちろん健康とは身体もですが、心の状態も含めてのことです。
 みなさんはまだ若いので、こうした話にあまり興味がないかもしれません。しかし、学校の授業で取り上げるように、若いうちから健康について意識を持ち、正しい生活習慣を身に着けることが大切なのです。
 健康の基本は、適度な運動、食事、睡眠といいますが、身体を動かすことを厭わない習慣、薄味の食事の習慣、規則正しい生活リズムなどは若いうちから培っておかないと、なかなか身につかないものです。
 私の祖母は7年前に百五歳で亡くなりました。明治の生まれの人でしたから、少し離れた所へ行くのにも、歩いたり自転車に乗ったり、身体を動かすことを厭わない人でした。「腹八分目が」口癖で、普段は粗食であまり欲をかかない人でしたが、八十を過ぎても一人で自転車に乗り、銀行へ出かけたりする一面があり、感心したのを思い出します。これらは、若いころからの習慣があるからできたのでしょう。
 人生百年時代と言われるようになってきました。皆さんの中にも百歳を超えて生きる人が、幾人も出てくるかと思います。そうしたこともあり、年頭に当たってこんな話をしました。
 さて、1月行く月、2月逃げる月、3月去る月とよくいわれますが、3学期はあっという間に過ぎてしまいます。
 3年生は、進学するにしろ就職するにしろ、社会へ出て行く準備を整えてください。あと学校へ来る日も残りわずかです。高校生活最後まで、しっかりやって下さい。
 2年生はいよいよ4月には最上級学年です。2年生の3学期は3年0学期とよくいわれますが、進路実現を目指して、今から動き始めてください。
 1年生は2年生になる覚悟をもって過ごしてください。得てして、中だるみになりがちな学年ですが、この時期をしっかり過ごせるかどうかで、高校生活の充実度が違ってきます。
 さあみなさん、締めの学期です。終わりよければすべてよし、しっかり取り組んでやっていきましょう!

2学期終業式講話

 みなさん、おはようございます。
 2学期が今日で終わりになります。5月に改元され、令和がスタートしましたが、あと1週間ほどで令和元年も終わりです。 
 さて、若菜祭から始まり、2年生は修学旅行、マラソン大会、そして先日行われた球技大会と長かったような2学期も振り返ってみれば、あっという間だったのではないでしょうか。
 ところで、2学期の初めに私が何を話したか覚えていますか。毎回復習から始めていますが、3年生の模擬面接で、関心のあるニュースについて尋ねてみたという話から、佐々木朗希投手やイワナとサクラマスの話をしたと言えば、ああそうだったなと思いだしてもらえると思います。
 その後、10月の全校集会では、地球温暖化に危機感を抱き一人で活動を始めたグレタ・トゥンベリさんのことと、日本で開催されたラグビーワールドカップについて、私が感じたことをお話ししました。
 今回は、2学期最後ということもあり、まとめの話でもと思ったのですが、最近気になっていることをお話しします。

 下校時に、校門の前でうつむき加減になり、一心不乱に携帯をいじっている大勢のみなさんをよく目にします。今のところ本校では、校内への携帯の持ち込みは禁止していませんが、使用は認めていません。そのため、学校から一歩外へ出た途端に飢餓状態?から、一気に携帯画面へなだれ込んでいくのでしょうか。校内では決まりを守って、使っていない人が大半である証拠でもあるのですが、ちょっと心配な点もあります。
 ある中学生の作文を読む機会がありました。彼女は中学生になったら買ってもらう約束だったのを、前倒しして買ってもらってスマホを持ち始めました。
 始めのうちは、無料通信アプリを便利に使っていましたが、友だちの投稿が気になりだしてから、友だちに不信感を持つようになったというのです。
 「あれ、私だけ誘われてない…。」投稿されていた写真には、何人かのクラスの女子の中に、いつも一緒にいる仲の良い友達も映っていました。そんなことが何度か続き、もしかして自分だけ仲間外れにされているのではないか、と不安になってしまったといいます。
 結局この件は、この生徒の考えすぎであったようですが、どうして自分に声をかけてくれなかったのか、という違和感は残りました。皆さんいかがですか、ありがちなことではないですか?
 また、友だちから自分の悪口をそのアプリ上で言っている人がいると、直接内容を見せられたこともあったそうです。
 その時は、相手に対して腹を立て距離を置くようになった、といっていますが、後になり冷静に考えてみると、悪口を言われる自分にも原因があったと反省しています。そして、悪口を言った相手を責めるよりも、悪口を告げ口した人に対して、「それは親切心ではなく、間違ったことをしているんだ。」
とはっきり伝えておけばよかったと思ったそうです。
 このことをこの人は「悪意のない悪」と表現していますが、おそらく告げ口した人は、親切心からそうした行動をとったのでしょう。しかしよくよく考えてみれば、当事者同士の人間関係が崩れてもめごとになるだけで、何の益もない親切です。こんな事わざわざ言う必要はなかったのです。これもありがちな話ではないでしょうか。
 その文章を書いた中学生は、何がいいことで、何が悪いことかをしっかり見極めることのできる目を持ちたいと書いています。また、「悪意のない悪」で人を傷つけ悲しませないように、日ごろから意識すること、こうしたことで傷ついている人に対して手を差し伸べられるようになりたい、とも記しています。
 この中学生は、冷静に事態を振り返り、自分を見つめることができたから、前向きに物事をとらえることができたのだと思います。得てして、こうした事態に直面した時、悪夢の泥沼に陥ってしまう人も結構いるのではないでしょうか。
 携帯、スマホは便利で既に我々の生活に欠かせなくなっていますが、我々人間の心の弱いところを増幅する可能性を持っていることを、十分に承知しておく必要があると思います。
 そうした側面を知ったうえで、どのように対処すべきなのか心得ておくことは必要です。とはいえ、スマートフォンやインターネットが普及し始めて高々十数年、新たにでてくる問題の解決のための方策や知恵は、日々模索していかなければならないのかもしれません。
 結局、実生活の上での大切なマナーとか、人に対する思いやりとかそういったことが基本であることは確かだと、私は思っています。そして、安易に行動しないことです。感情を害することやショックを受けることも多いと思いますが、一呼吸おいて冷静になってみることが重要です。
 先日1・3年生の皆さんは、保健講話でレジリエンスについて学びました。レジリエンスとは最近目にすることも多くなってきましたが、要するに困難に負けない心を持つためには、というお話でした。実際にすぐに役立つようなことがいくつもあったと思います。こうした知識もこれからは大切だと思います。
 またの機会に、そうした話もしたいと思っています。 
 よく言われることですが、スマホに使われてしまう(支配されてしまう)ことなく、スマホを上手に使ってほしいと思います。
 さて、令和元年も残すところあと1週間となりました。来年が皆さんにとって良い年となることを願っています。

友だちを待ちながら

10月全校集会講話

 みなさん、おはようございます。
 今年の夏も猛暑でしたね。今年の夏もといいましたが、ここ数年の夏の様子からすると、気候変動の影響が明らかにあるように思います。温暖化で、この暑さが普通となってしまったようです。
 思い返せば、私が子供のころは、30度を超えると暑いなとは思いましたが、36度37度などという気温になることはなかったように記憶しています。子どもながらに、自然は人間の体温を超えないようになっているんだと、勝手に納得していました。
 学校もクーラーなどなくてもどうにかやっていましたし、明らかに気候が変わってきていると思います。
 まだまだ台風がやってくるようで、心配の種は尽きませんが、やっと秋めいてきました。
 ところで、2学期の始業式では、新聞を読もう、ニュースにも関心を持とうという話をしました。今話したことと関連して、一つ聞いてみます。
 皆さんは「グレタ・トゥンベリ」という人について、知っていますか?どういう人か、知っているという人は、日々ニュースに関心を持って生活している人でしょう。名前を聞いたこともないという人は、少し自分自身の生活を振り返る必要があるかもしれません。
 トゥンベリさんは、スウェーデンの16歳の女子高生です。彼女は、気候変動、地球温暖化のことを知って、危機感を持ち、たった一人で立ち上がり抗議活動を始めた人です。
 国連の気候変動サミットでも招かれてスピーチをしています。顔を怒りにゆがめながら、なぜこんな重大な問題を大人たちは解決しようとしないのか?経済的利益のほうが大事なのか? 結局付けを払わされるのは自分たち若い未来の世代なのだということを、体いっぱい力を込めて訴えていました。
 地球上の二酸化炭素の量が増えてしまったのが、温暖化の原因といわれていますが、中にはアメリカのトランプ大統領のように、二酸化炭素は原因ではないという人もいたり、今まで二酸化炭素を出し放題出して豊かになった先進国と同じ扱いで規制されるのは、不公平だと発展途上国は訴えていたりと、この問題も一筋縄ではいかない難しいところがあります。
 しかしながら、ほぼ科学的には今地球規模で起こっている気候変動は、二酸化炭素を中心とする温室効果ガスの影響だろうと言われていますし、このままいくと森林が減少してどんどん砂漠が広がり、人間が住めない星に地球はなってしまいます。既に手遅れなのではないかという科学者もいるくらいですから、すぐにでもどうにか対策を進めないとと思うのは、当然のことなのです。
 トゥンベリさんのように、大々的に抗議の声を上げて、世論に訴えるなどはなかなかできなくとも、こうしたことに関心を持ち、自分たちで何ができるかを考えるということは、大切なことです。自分の周りの友だちと話したり、SNSで通じたり狭い世界の中だけで生きていては、自分たちの将来を閉ざすことにもなりかねません。
 香港では、若者たちを中心に政府に対する抗議活動が続いていますが、彼らは何に怒っているのか、どういうことが問題になっているのかなど、分かっている人がどれくらいいますかね。こうした社会的なことにも少し関心を持ってもらいたいというのが、私からのお願いです。
 わかりやすいニュースばかりではなく、複雑で面倒くさそうな話にも、少し関心を持ってもらえたらと思います。これからの時代を背負っていくあなたたちなので、是非とも自分の頭で考え理解する、そのためには様々な情報を取り入れる心構えを持つ、そう心掛けるようにしてください。
 今回はもう一つお話をします。実は、10月の講話ではラグビーワールドカップの話をしようと思っていました。
 皆さんも先日のアイルランド戦を観た人も多かったのではないでしょうか?私もテレビ観戦をしていて、結構興奮しました。試合前には、まさか日本が勝つことは無理としても、どこまで頑張れるかが見どころだなどといわれていたのに、勝ってしまったのですから。
 昨年も南アフリカに勝利して少しブームになりました。五郎丸選手のキック前のルーチーンは、憶えていますよね。
 南アフリカは油断して、ベストメンバーで試合には出ていなかったなどという人もいましたが、今回は違います。日本も実力が着実に上がってきていると思います。
 私は、高校の体育の授業で少しやったくらいで、ラグビーに詳しいわけではないのですが、見ている分には面白いなと思います。今、体育の授業では、サッカーはやるけれど、なかなかラグビーはやらないと思います。実際のところ大変です。試合の真似事ぐらいやりましたが、怖いし、体が痛くなるというのが本音でした。
 それにしても、ラグビーワールドカップが日本に来る、埼玉も熊谷が会場の一つになると言っても盛り上がるのかな、と思っていましたが、どうしてどうして今回のこともあり、思った以上に人気が出てきたようです。
 ラグビーの基本は、ボールを前に投げることができないということで、前に進めるためには、持って走る、タックルで倒されそうになったら、隣の味方にパスするという戦略です。
 手を使ってはいけないサッカーから、手を使ってもよいラグビーが生まれたと言われていますが、ルールで縛られ不自由さがあるから、サッカーもラグビーも面白いのかもしれませんね。こういうことは、私たちが生活している中には気づかないうちに結構あるような気がします。
 それと今回思ったことをもう一つ。日本の選手の名前を見ると、横文字の人が目立つし、テレビでも明らかに外国から来たと思われる人が多いですね。なんでも日本で3年プレーしていれば日本の選手として出場する資格が得られるのだそうで、今後社会のあらゆるところでグローバル化が進むと、他のスポーツもこうなってくるのではないかとも思いました。
 自分の国の選手を応援するということは、自然なことですが、そのスポーツ自体を楽しみ、どちらのチームも応援するという姿勢が、当たり前になっていくのかもしれません。まさに「ノーサイド」の精神ですね。
 今回は、最近の話題から、雑感のようになってしまいましたが、2つ話をしました。少しは関心を持ってもらえたでしょうか?
 以上で10月の講話を終わりにします。
 
登校風景

2学期始業式講話

 みなさん、おはようございます。
 44日間の夏休みも終わりました。皆さんにとって、今年の夏休みはよい夏休みだったでしょうか?
 今年の夏も非常に暑い日が続きましたが、特に大きな事故の報告もなく、元気な様子のみなさんとまた会うことが出来て、大変うれしく思います。
 毎日部活動三昧であった人、進路関係で学校に顔を出していた人、補習で学校に通っていた人、文化祭の用意で学校によく来ていた人、それぞれ充実した日々を送ることが出来たでしょうか?過ぎてしまうとあっという間の夏休みだったと、感じているかも多いかもしれません。
 何となくボーとして過ごしてしまったという人も、これから気持ちを新たに2学期を迎えましょう。
 3年生は、進路関係で学校へ来ている人が結構いました。就職やAO・推薦入試に向けての準備のために、進路室で担当の先生と相談している姿や、進路研究室で書類を調べたり記入している様子も目にしました。
 3学年の先生方を中心として、模擬面接も行われ、応接室や教室前の廊下で、真剣なまなざしで、まとめた志望動機に繰り返し目を通している姿も、よく見かけました。
 私も就職志望の人たちを中心として、30名ほど模擬面接を行いました。こうした面接の際には、志望動機が訊かれるのはもちろん、社会的なことにも興味関心を持っているか、社会人としてどうかということを確認するために、新聞・テレビのニュースなどで特に関心のあることを、尋ねることがあります。
 校長面接は7月の下旬に行いましたが、訊いてみると、ほとんどの人が京都アニメーションの放火事件と回答しました。もう一つ挙げてくださいというと、高齢者による車の事故についてという回答が多かったです。
 社会的に大きな話題となっていたので、どんな事件だったか意識せずとも、テレビのニュースなどで、記憶に残っていることが多いのだと思います。つまりここまでは、そんなに構えていなくても大概答えられるのです。実は、本当に訊きたいのはその先で、「どんな事件だったか説明してください」「また、その事件について、どういう点が一番の問題点だと思いますか?」「あなた自身が感じたことはどういうことですか?」といったような追加の質問に対する答えが大切なのです。
 関心あるニュースについては挙げられたものの、その内容についての説明がうまくできなかったり、突っ込まれて自分の考えがうまく言えなかったりという人もいました。
 進路で必要だからというのではなく、普段から広く社会の動きなどにも関心を持ってもらいたいなと思います。これは何も進路に必要だからということではなく、1、2年生の皆さんにも、是非新聞などに目を通す習慣を身に着けてほしいと思っています。人間だれしも、自分に直接関係のない事柄については、関心を持ちづらいものですが、少なくともそうしたことに関心を持つべきなのだという意識だけは、もっていてほしいと思っています。
 そうすると、世の中は単純にいいか悪いか判断できないような問題が結構あるな、ということに気が付きます。また、場合によると、答えがない問題が結構ある、ということに気が付くかもしれません。そうした問題に対して、自分なりに考えてみるということが、これからの社会ではますます求められてくるのです。
 少し古くなってしまいますが、大谷翔平を超える163キロの球を投げる大船渡高校の佐々木朗希投手を擁する大船渡高校が、地方大会決勝戦で敗退してしまったニュースは、結構話題になりました。決勝戦に佐々木投手を起用すれば、おそらく優勝できたでしょう。しかし、國保監督は、佐々木投手の故障を心配し、甲子園よりもプロで活躍するであろう佐々木選手の将来を考え温存策をとりました。
 侃々諤々色々な人が様々な観点から、自分の意見を述べるのを聞いていて、そういう見方もあるのか、ということにも気づかされました。
 最近新聞を読んでいて、印象に残った話をもう一つ。魚の話です。
 皆さんはイワナという魚を知っていますか?渓流釣りを趣味にしている人は良く知っている魚です。谷川などに生息していて、普通20センチくらいの大きさになります。もう一方で、サクラマスと呼ばれる60センチを超える大きな魚がいます。これが、見た目も大きさも全然違うのですが、実は同じものだというのです。
 同じ親が産んだ卵から孵って幼魚の時代を過ごすのですが、少しずつ生存競争で差がついて、体格のよいものと悪いものが出てきます。
 「そうか、幼魚の時に差がついて、小さいものがヤマメになり、どんどん餌にありついたものがサクラマスになるのか…」と思うかもしれません。実際はそんなに単純な話ではないのです。 
 小さな体格の魚たちは、谷川の上流にいては、大きな魚たちに太刀打ちできないので、川を下って海へ出ていくのです。いうなれば、起死回生をかけ、一大決心をして困難があろうとも、新たな世界に踏み出していくということなのです。
 もうわかりましたね。海へ下った小さい魚たちは、危険も多いけれど、餌の豊富な大海原で鍛えられ、ヤマメの数倍の大きさになってふるさとの川へ戻って産卵するのです。
 こうした話から何か感じることはりませんか?新聞は、政治や経済、社会のことだけではなくこんな話も載っているのです。
 夏休み明け、思ったように成果が上がらなかった人もいるかもしれません。そんなこともあって、最後にこんな話をしてみました。
 さあ、まだ暑い日はあると思いますが、徐々にさわやかな季節に向かっていきます。2学期もしっかり元気にやっていきましょう。


校内合宿の終わりに流しそうめんをするバドミントン部

1学期終業式講話


 皆さん、おはようございます。
 早いもので4月8日に始まった1学期も今日で終わります。この3カ月半、皆さん一人一人にとって、充実した日々だったでしょうか。
 この1学期間にもいろいろなことがありました。悪天候により日延べした体育祭、友達とのきずなを深めた遠足、そしてこの間行われた芸術鑑賞教室。また、それぞれの運動部では、学校総合体育大会等の試合が行われました。授業はもちろん、どの学校行事、部活動にも一所懸命取り組めたでしょうか?今になって振り返れば、あっという間に過ぎてしまいましたが、どうですか?
 始業式では、令和が始まるということで、元号についての話をしました。5月にはしっくりこなかった「れいわ」という響きも、3カ月過ぎてなんとなく馴染んできているのは、不思議なものです。
 さて、今日は1学期締めくくりの終業式ですが、3つの話をしたいと思います。どれも1学期中にあった、私にとってはうれしい話です。
 5階の西教室の黒板には、虹やハトが飛ぶ空をバックに、高校生の男女2人が投票箱を挟んで手を広げている姿が描かれています。
 実は、本校の美術部が選挙管理委員会から依頼されて、今月21日の参議院選挙の啓発事業のために、黒板アートを製作したのです。
 美術部は黒板アート甲子園で優秀賞を取るなど、活躍していたので、選挙啓発のための絵を描いてもらえないかという依頼が来たのです。
 遠く離れてみると、黒板に書いたとは思えない完成度で、内容もテーマにふさわしい希望に満ちた素晴らしい作品だと思います。
 この作品はチラシとして使われているだけではなく、メイキング映像が、電車内のTVにも放送されています。ツイッターやフェイスブック及びYouTubeでも公開されているので、ぜひみなさん見てください。
 また、3年生で今回選挙権を得た人は、ぜひ投票に行ってください。
 二つ目は、4月終わりごろの話だったと思います。ある本校の関係者の方から聞いたのですが、車で通勤しているその方は、渋滞の中信号待ちをしていると、本校の1年生男子が、道端にうずくまっているのが見えました。
 何をしているのか気になって目を凝らすと、どうも自転車のチェーンが外れてしまって、なかなかハメられないで苦戦している様子です。車を降りて助けてあげたかったのですが、渋滞の中にいたためそれも叶わず、どうにかしてあげられないかと、思案していたところ、後から来た本校の上級生が、声をかけてチェーンをハメてくれました。どうも、二人は知り合いという風でもなかったというのです。1年生も素直に笑顔で、感謝している様子だったそうです。
 私は対面式の挨拶の中で、上級生は先輩ぶるのではなく、後輩に先輩らしく振舞ってほしいという話をしました。この話を聞いた時、何ともじんわりした温かい気持ちになりました。
 最後の話です。
 私はときどき校内をふらふら見て回っています。授業中歩いていて気が付いたのですが、体育などで教室に人がいないとき、必ず電気が消されています。どうということはないような話ですが、これは結構大切なことなのです。
 教室を最後に出る人が、気が付いて必ずスイッチを切っているのだと思います。こうしたことに気が付く、またそうした習慣を持っている人は、他のこともきっとしっかりやれる人だと私は思っています。
 そんなことを考えていたら、この間なんとなく見ていたテレビの情報番組の話を思い出しました。
 少年たちが、ジャニーズのオーディションを受けるため、事務所のある部屋に集められました。みな椅子に座って待っていましたが、なかなかオーディションが始まる様子がありません。そのうち作業着のおじさんが現れて、椅子をセッテングし直し始めました。
 誰かが何気なく「のどが渇いたな」というと、おじさんは、「待っててね」といい、飲み物をもって戻ってきました。そして、一人一人に渡し始めたのです。
 黙って受け取る少年が大半だった中、「有難うございます」といった少年、「渡してもらえれば、後は僕が配りますから」と申し出る少年もいました。
 「オーディションはまだ始まらないの?」と訊いた少年たちに対してそのおじさんは、「オーディションはもう終わりました」と答えたのです。
 「えっ?ジャニーさんに会わせてよ」という少年たちに、「僕がジャニーだよ」とそのおじさんは答えたそうです。
 先日ジャニーズ事務所の社長ジャニーズ喜多川さんが亡くなって、いろいろな番組で取り上げていましたが、彼には人を見抜く独特の才能があったという一つのエピソードです。
 さて、明日から、夏休みに入りますが、くれぐれも事故にあったり、事件に巻き込まれることの無いように、一人一人がわきを締め早寝、早起きで、リズムを崩さずに健康的な生活を送ってください。
 9月2日には一回り成長した皆さんの顔を見ることを楽しみにしています。

理不尽(5月全校集会講話)



  おはようございます。
 熱くも寒くもない、さわやかな五月となりました。そして、 昨年度来何回も耳にしていたと思いますが、ついに令和となりました。
 すでに元号の話はしたので、その話はしませんが、出典となった『万葉集』がどういう書物なのかくらいは、自分で確認してみてください。宿題です。誰になるかはわかりませんが、私と校内で顔を合わせたときに質問するかもしれません。
 それはさておき、連休中は部活動の大会や練習に明け暮れた人もいたかと思います。各運動部活動は、まだこれからも試合が続きます。練習で培った実力を出し切って頑張ってください。
 ところで、校内を巡っていたら、ある運動部のスローガンが貼ってあるのに気づきました。
 「理不尽」「精進」「感謝」「凡事徹底」と四つ挙げてあります。後三つは、モットーやスローガンとしてよく耳にする言葉だと思います。いわば良い意味を持つ言葉ですね。しかし、一番目の「理不尽」とはあまり良い意味では使われません。
 「何も悪いことをしていないのに、連帯責任だと言って自分まで怒られたのは、理不尽だと思う」のように使われる言葉です。つまり、道理に合わないこと、平たく言えばむちゃくちゃなことを言います。そんな言葉をはじめにもってきたのは、どうしてなのか?
 この部活動とはサッカー部なのですが、ホームページを見ると、「生きていれば上手くいかないこともたくさんある。逆境に負けない力をつける」と説明があります。つまり、「理不尽に負けない」ということをあえて省略して、見る人をしばし立ち止まらせる効果を狙っているのかもしれません。
 よく考えてみると、世の中は理不尽なことだらけです。4月の終わりの頃に起きた交通事故を思い出してください。
 お年寄りが運転する車が暴走して、3歳の女の子とそのお母さんが亡くなってしまいました。何も悪いことをしていないのにこんな目にあってしまうとは、理不尽以外の何物でもありません。
 その子のお父さんがニュースに出て訴えていました。涙ながらに、もう二度とこんな事故が起こらないようにという思いで、テレビの前に出ることを決心したのだと。率直に、この人はすごい人だと思いました。自分だったら、こんな勇気があるだろうかと。このお父さんは理不尽を乗り越えていくでしょう。
 世の中には理不尽なことが一杯あります。学校にも理不尽なことはあります。しかし、よく考えてみるとその理不尽にも意味がある場合もあります。見かけ理不尽だけれど、深いところで意味があることもあります。
 何事も表面的に反応することなく、しっかりとらえることも大切なのです。
 少しぐらいの理不尽には負けないこと。そして、その理不尽に挑み、なくしてしまえたら一番いいですね。
 さて、風薫る五月、爽やかな決意をもって何事にも取り組んでいきましょう!

1学期始業式・入学式


 今年も新しい年度が始まりました。
 桜も早くに咲いたので、入学式には散ってしまうと思っていたのですが、意外ともちました。もっとも、花曇りの一日ではありましたが。

 本来書きたいことがあると書く、という方針で無理せず気ままに来たので、昨年度はあまり書かずに終わってしまいました。今年度はもう少し頑張りたいと思ってはいます。

 今年もどうぞよろしくお願いいたします。



1学期始業式 式辞

 今年は桜の開花は例年に比べ若干早かったようですが、その後冷え込んだこともあり、今日まで花はもちました。桜に続くようにほかの花々も咲きはじめ、春はこれからが本番です。
 改めまして、皆さんおはようございます。
このフレッシュな空気のなか、また新しい年度がスタートしました。
 さらに、5月には元号が改まり「令和」となりますね。平成31年はあと1カ月足らずで終わりです。
 新しい時代の始まりに立ち会うことができるというのは、めったにない経験です。私は昭和から平成に切り替わるときのことを、今でも鮮明に憶えています。おそらく皆さんも生涯、今回のことははっきりと記憶に刻まれることと思います。
 西暦は確かに便利ですが、その時代その時代の記憶と結びつくのは、やはり元号年代かなと、私は思っています。
 元号はもともと中国の皇帝が、空間を支配すると同時に、時間をも治めるということで定めたものです。古代の日本もそれに倣ったのです。かつては、朝鮮半島の国々や、ベトナムなどの国々も使っていましたが、世界中で今でも使っているのは、日本だけです。
 江戸時代以前は、戦や風水害、疫病の流行など不吉なことがあると、改元することがありました。また、目出度いことがあっても改元したようです。しかし、明治になって一世一元の制という法律ができて、一人の天皇に一つの元号を使うという決まりになり、また、天皇は即位したら亡くなるまで退くことがない、と定められたので、いつ元号が改まるかは、事前には予測がつかなくなったのです。今回は、例外的に現天皇が生きていらっしゃる間に退位されるということになったので、事前に改元の日時がわかるのです。
 ちなみに昭和天皇が亡くなったのは、昭和64年1月7日なので、昭和64年は7日間しかありません。1月8日から平成元年となったのです。
 その平成も1カ月足らずとなりましたが、この平成の終わりを象徴する出来事と言えば、イチロー選手の引退と、はやぶさ2の偉業だと私は思っています。
 イチロー選手については、ニュースなどで様々な論評がでています。しかし長くなるので、この件についてはまた後の機会ということにして、今日は小惑星探査機はやぶさについて少しお話をしてみたいと思います。
 今回小惑星リュウグウに着陸して、岩石などのサンプルの採取を行っているのは、二代目のはやぶさです。リュウグウまで3億1千万キロメートル地球から離れているそうですが、電波が届くのに、17秒以上かかるということです。
 今回金属片を発射して、クレーターを作り惑星内部のサンプルを持ち帰ることを最大のミッションとしています。これが成功すれば、世界初のすごいことで、太陽系の初期の様子、地球上の生命誕生の秘密も解き明かされるかもしれません。
 しかし考えてみれば、先代のはやぶさが失敗していたら、今回のはやぶさ2の計画はなかったと思います。先代のはやぶさ計画は、事故や故障続きで、苦難の連続だったことは、皆さんも聞いたことがあると思います。感情のない機会ですが、はやぶさよ、よくぞ地球へ帰ってきた!と、感動的させられたものです。
 化学エンジンが燃料漏れを起こし、姿勢制御が出来ず、7週間も行方知れずとなり、通信も途絶してしまえば、普通はあきらめます。しかし、地上のスタッフはあきらめずに、できうる限りのあらゆる試みを、1年以上にわたり粘り強く続け、地球帰還を果たすのです。
 最後には、頼みのイオンエンジンも寿命が尽きてしまいます。しかし、それでもスタッフは最後まであきらめずに、4つあるエンジンの機能の一部ずつをうまく組み合わせ、1台のエンジンとして使うことに成功します。
 こうしてみると、偉業は科学技術の勝利というより、しぶとくあきらめない人間の勝利だったのではないかと思います。
 どんなに絶望的でダメだと思っても、まだどこかに可能性があるかも知れない、希望があるかも知れないそう思って、努力を続けると、意外に道は開けるのかも知れません。
 先代のはやぶさの成功は、我々にそんな教訓も与えてくれました。
 さて、皆さん昨年度は何事にも前向きにチャレンジしよう、という話をしましたが、今年度は何事もあきらめずに、粘り強くチャレンジしようということで年度初めの話を締めたいと思います。
 新しいスタートの春、今年度が皆さんにとって昨年度以上に有意義で、実りのあるものになることを願っています。


平成31年度入学式式辞

 桜の開花に続いて百花繚乱、花の季節が始まり、生命の躍動を感じる頃となってまいりました。
 本日ここに、埼玉県立越谷東高等学校第三十八回入学式を挙行するに当たり、越谷市立東中学校長、峯裕彦様をはじめ、多数のご来賓の方々のご臨席を賜り、心からお礼申し上げます。ただ今、入学を許可いたしました二百七十八名の新入生の皆さん、並びに保護者の皆様に、心からお祝いを申し上げます。
 さて、新入生の皆さん、いよいよ今日から高校生活が始まります。この機会に、本校についての説明をしたいと思います。
 本校は、昭和五十七年に創立し、今年で三十八年目を迎える高校です。卒業生の数は優に一万一千名を超え、地域社会の中核となって活躍している先輩たちが大勢います。
 本校の目指す学校像は、「志を高くチャレンジ精神に満ちた生徒を育て、きめ細かく面倒見のよい指導を行い、地域から信頼される学校」です。本校では、授業に限らず、部活動、特別活動においても、積極的に自ら動くことで、何事からも逃げずに挑戦していく気概を持つ生徒を育むことを、目指して参りました。そのために、日頃より面倒見のよい指導を行い、結果として地域社会の信頼を得て、活躍できる人材を輩出するという伝統を築いてきたのです。新入生の皆さんもこの伝統を守り、先輩方に続くよう心がけ、努力してくれることを願っています。
 次に、皆さんが制服に付けている校章について、お話ししたいと思います。この校章は、埼玉県の木であり、越谷市の木でもある欅をモチーフにしています。
 欅は枝を箒状に広げ、幹がどこまでもまっすぐに伸び、見上げるばかりの大木になる樹木です。夏は木陰の下人々の憩いの場を作り、冬は北風から家屋を守るという役目を果たしてきました。
 三本の幹は、本校の校訓である知(向学)・徳(協働)・体(健康)、つまり勉強しようという意志、他の人と協力し合って物事を成し遂げようとする気持ち、そして何より体を鍛え健康であることが大切であるということを示しています。また、三本の枝は、「豊かな知性の育成」、「規律と責任を重んずる行動の育成」、「強い意志と体力の育成」を目指す本校の教育方針を表しています。
 皆さんはこの理念をしっかりと胸に刻み、主体性を持って何事にも取り組む姿勢を身に着けてください。
 ところで皆さんは、平成最後の本校入学生ということになります。昨年来幾度となくいわれてきた言葉ですが、皆さんは新しい時代を迎える時に高校生になったのです。来年にはオリンピックを控え、日本も大きく変わっていく節目の時代ということができます。
 未来を切り拓いていくのは、いつの時代でも若い人たちです。
 最後に今から約百五十年前に生まれ、自分の力で時代を切り拓いていった郷土の偉人、本多静六博士について紹介したいと思います。
 後に博士は、日本最初の林学博士となり、近代林学の基礎を築き、日本の公園の父と呼ばれるようになります。日比谷公園や明治神宮の杜、近いところでは大宮公園などの設計に携わっています。
 晩年には、今の価値にすると数百億といわれる資産を築いたといわれていますが、そのほとんどを教育や公共の関係機関に寄付しています。
 そんな博士ですが、生まれた家は、父親が早くに亡くなったため、借金だらけで大変貧しく、やっと進学した東京山林学校でも、代数と幾何で落第してしまいます。
 家族が無理に無理を重ねて、自分を進学させてくれたのに、落第してしまった恥ずかしさと情けなさに、静六は死んでお詫びをしようとします。しかし、すんでのところで、上京するときに励ましてくれた祖父や家族の顔を思い出し、踏みとどまるのです。
 五十人中五十番で入学した静六でしたが、このことをきっかけに死ぬ気で勉学に励み、卒業の時には主席となり、銀時計をもらうまでになったのです。
 先に目指す学校像として、「志を高くチャレンジ精神に満ちた生徒」といいましたが、まさにそのことがこれからの時代は、ますます大切になってくると考えます。本校の三年間で、新しいことにも物おじせずに挑戦し、そして何事にも前向きに取り組む姿勢を持つようにしてください。東高は夢や希望をともに実現するところです。
 これから皆さんが自分の能力や才能を十全に伸ばし、有意義な三年間の高校生活が送れることを期待しています。
 保護者の皆様に申し上げます。ただ今より三年間、お子様をお預かりします。
 お子様の持っている可能性を引き出し、健やかに育ってもらうためには、学校と家庭の協力が不可欠です。
 本校の教育方針をご理解いただき、学校と連携を取り、ご支援、ご協力をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 皆さんの今後の健闘を祈り、式辞といたします。